私は新卒から12年間働いたマーケティング会社を辞め、起業準備をしている。(2019年1月現在)
34歳女性という年齢と性別も相まって、起業に対して周囲の反応は、賛成派50%、反対派50%。34歳は、それなりに経験を積んだいいオトナでありつつ、20代の頃に比べて無茶なことに臆病になる年齢だ。私の場合、前職は新卒から入社し、仕事が辛いと感じる時期は、とうの昔に過ぎ去り、それなりにやりがいもあり、安定の域に入っていた。今年、35歳になる身としては、もしこの先、子供を産む機会があれば、高齢出産は確実で、両親からすれば、そんなハイリスクな選択はせずに、人生のパートナーを見つけてほしいと思っているようだ。
それでも起業の道を決心したのは、「挑戦せずに後悔する人生よりも、やりきった人生を歩みたい」と思ったからだ。
私の人生感を大きく変えたのは、3年前の東京転勤。
見知らぬ土地で友だちづくりのため通い始めた宣伝会議主催の講座がきっかけで、今まで出会ったことのない広告や音楽などの業界の第一線で活躍する人たちと交流するようになり、人生に対する意識が変わった。
彼らが活躍しているステージは、キラキラ輝いてみえるだけでなく、よりよいものを世の中に提供するため、とことんこだわり抜く姿勢や、社会のため何かしらのミッションを自分に課して仕事をしている姿は、人として、とんでもなく素敵で、とても羨ましくも思った。
私もせっかくこの世の中に生まれてきたのだから、何か世の中の役に立つことがしたい!!素直にそう思えた。
私の人生はこれまでミッションなんてなく、何も考えずに自由に生きてきた。思い返せば、少しでも無理だと思うと「もういいや」と、諦めの多い人生。
中学生の頃の夢は、ファッションデザイナー。「デザイナーならフランス!」と安易な考えから、渡仏を考えるも、言語の壁を感じ、あっさり断念。高校卒業後は、両親の強い希望で大学へ進学。大学に行くなら東京へと思ったが、「六大学なら東京の大学でもいい」という条件に、受かるかどうかは別として、「そんなに勉強してまで入りたい大学はない」と、実家から通える範囲の大学に進学。
根性なしで、絶対にやりたいこともなければ、手に入れたいものもない、すごく平凡な生活を送っていた。
それが東京の刺激に触れ、ここ数年は、今のままでいいのか?本当にやりたいことはないのか?という考えが頭からずっと離れなかった。
でも実は、ずっと長く心に引っかかっていたことがある。
少し暗い話になるが、私は小学校高学年の頃、クラスメイトからいじめに合い、自殺未遂を起こしたことがある。当時はインターネットも普及しておらず、自意識過剰な私は、クラスの中が全世界であり、クラスの仲間に受け入れられなければ、自分の居場所は、もうこの世界中のどこにもないと思っていた。
毎日が辛くて辛くて消えてしまいたかった。
ただいじめられた原因は、私にもあったと思う。私はやや空気の読めないところがあり、他人に余計なことを言ってしまうところがあった。(俗にいう発達障害かもしれないが、診察を受けたことがないので不明。)
だから中学生から高校生くらいまでは、ひたすら友だちに嫌われないように、友だちが好きなものを好きと答え、友だちが嫌いなものは嫌いと答えた。そして毎晩「今日は嫌われるようなことをしていないか?」と1日の出来事を思い出し、ひたすら反省をする毎日だった。
自分の意見なんてなかったし、人からの評価に過剰に怯え、中高生時代はあまり生きている感覚がなかった。
昔ほどではないものの、人からの評価を気にして、心の底からやりたいことや言いたいこと友人に言えない癖は、今でも続いている。
幼少期にいじめられた記憶は、木の芯まで浸透してしまったカビのように根強く、心の奥深くにビッシリと、こびりついているのだ。
だからこそ、私は自分と同じように、いじめられた経験をした子を、ずっと救いたいと思っていた。今、もし生きづらいと思っているのなら、その子たちの世界を少しでもよくするための道を見つけてあげたいと。
そのために大学では心理学を専攻したが、実習でカウンセリング相手に過剰に感情移入をしてしまい、カウンセリングの度に自分が病んでしまい、臨床心理士になるのを諦めた。それでも諦められなくて、社会人になってからも産業カウンセラーの資格をとるなど、精神的に弱っている人を助けたいという気持ちはずっと心の底にあったが、なかなか行動に移すことはできなかった。相変わらずの諦め癖で、ずっと心にしこりを残したままいた。
それが今、一歩を踏み出す時がきたのである。
・・・・・つづく